ここはちょっと見せられない

ぜったいぜったい見せられない

子育てと仕事を両立できなかった話

随分前に会社辞めたんだけれども、当時のことをこないだ思い出したのでメモっておく。
別にもう引きずってるわけでもなんでもないんだけど、やっぱり両立って難しいしものすごい葛藤もたくさんあったので、こういうやつもいる、ってくらいの話。

プログラムを書く仕事をしていたんだけれども、WEB業界になってから様々失敗もたくさん経験しつつ、勉強もさせてもらっていた。トータル7年くらい在籍させてもらったのだけど、第2子を授かり出産に向けて準備することになったわけ。

もちろん休まないわけには行かないので、新たな人を採用してもらうことになり、引き継ぎ準備をすることになった。零細企業だから苦しいことは重々わかっていたけど、早々に意欲的な人に来てもらった。

さあ引き継ぎしようとしたら、なんかしらんけど社長が私が休暇にはいるなんてことなかったかのように、別の仕事をその人にふっかけるわけ。
引き継ぎするために採用してもらったはずなのに、引き継ぎ相手が居なくなった。

いろいろあり、それでもなんとか引き継ぎらしきことはして、内容を理解してもらったものの、2日や3日で引き継ぎできるような案件じゃなかったし。急遽アルバイトとしてもう一人優秀な人をいれてもらったけれど、その間、客先打ち合わせに私は行くわけに行かなかったので裏方にまわりつつ、社長が出向き、なぜか毎回違う人を打ち合わせに連れて行くはめになっていた。もちろん社長が全貌を説明できるわけもなく、客先から言われたことに対して連れて行かれた人が咀嚼できるわけもなく、社内としては規模の大きな案件をつぎはぎだらけの人材でカバーさせようとしていた。

そういや、もうひとつ別の案件が来るかもしれなかったのだけど、「産休にはいります」ってお客さんに伝えたら、「うあー!!予感があたった!別のところに頼んでよかったー!!!」などと言われたのはいい思い出になるんだろうか。

進んでいる案件は、出産間近までなんとか裏方でサポートしたつもりだったけど、出産前後のことはもうほぼ怒涛のように過ぎてさっぱり覚えていない。出産前に不正出血があったりで病院から安静命令が出ていた。あんまり動けなかったのは覚えている。7,8ヶ月くらいの時にはノロに感染して死にそうになってたな。そのせいで浮腫がでて体中パンパンになった。人間の体はこんなにパンパンになるのかと感心した。

そんなこんなで出産半年後に復帰することにした。本当は一年休みたかったけど、それは伝えてない。社長ご本人が出産したときには3ヶ月くらいで復帰していたので、一年取るのは会社に対して申し訳ないかと思い遠慮していた。とはいえ、それも形式的なものであり、出産後ほどなく、在宅でずっと仕事は続けていた。

それからもいろいろあったが、なんとかかんとかやりくりしていたように思うけど、それも覚えていない。ただ、様々な失敗をしたことは覚えてる。

第2子は半年で保育園に預けたものの、預けてから1年間くらいは本当によく高熱ばかり出した。死ぬかもしれないと思ったこと数回。42度から数日下がらない日を過ごしつつ、在宅で横に寝かせて夜中のskype会議をこなした。次の朝起きたらこの子は死んでいるかもと思ったこともある。一ヶ月のうちに事務所に行けた日は何日あるのだろう、と思うくらいの月もあった。

私のどうしても譲れないラインが、病児保育は使わないこと、毎日同じ時間に子供を迎えに行くこと。それだけはずっと守ってきた。

子供を寝かせてからじゃないと仕事ができないから、迎えに行って、ご飯食べさせて、お風呂入れて寝かす。そして在宅残業する。このルーチンは毎日時間通りにこなした。実質、子供と一緒にいる時間=家事と世話している時間であり、それは親子のふれあいとかそんな生易しいもんじゃなくて、戦争でしかなかった。

そんな中、お客様を最大限に怒らせたのは大体DNSがらみの失敗だ。でも社内にDNSがらみの業務ができる人材はいなかったし、自分自身もどんな本がいいのかわからないままにネットで本を買って、勉強しながらの作業だった。

ある時、DNSの切り替えで大変なお怒りを買い、社長と一緒に謝罪しに行くことになっていたが、当日、子供が熱を出してしまい、行くことは叶わなかった。社長と役員が謝罪に向かい、なんとかまるく収めてくれた。

当時、連れは子供の病気のために自分が会社を突然休むなどということはしなかったし、実母は病気の赤ん坊を預かってくれるわけもない。熱出してる子を母親がみないなんて見殺しするのと同罪くらいのことは言う人だ。でも私自身も強くそう思っている。なんのために在宅できる仕事を選んだのか。子供が病気をしてもそばについて居られるからなのよ。子供と一緒にいるために選んだ仕事なのよ。子供をより良い条件で育てるために選んだのがこの仕事だったわけよ。

この時、零細企業に居ながら、自分自身の失敗を自分で謝罪もできないということには、どうしようもなく絶望感を抱いていた。謝ることすらできない。なんだこれは。自分は一体何をやっているんだ、と思うようになった。

夜9時に子供を寝かすようにはしていたけど、本当によく夜泣きをし、添い寝で在宅残業中に寝落ちすることも多く、仕事は思うようには進まなかった。他の人に仕事が振れれば問題なかったかもしれないが、人材を育てる事もままならず、絶望感は深まっていく。

成果もあがらず、働きぶりが悪かったのだろう。ある日社長に言われた言葉。

「期待してたんだけどね。もうちょっと頑張るか、給料を落としてパートになるか選んで頂戴」

もちろん「給料を減らしてください」と伝えた。この時すでに社長とは折り合いが悪かった。

役員さんがこれを止めてくれたので結局下がらなかったんだけれど、でも私がもがき苦しんで業務にあたっても失敗ばかりが目立ち、成果も売上もあがらないという事実はもう変わらなかったし。あの案件赤字だったのよって言われるのも辛かった。金食い虫は去らねばならない。

子育てと仕事を両立できないという無能さ加減を思い知って惨めな思いだけを残して退職した。
無能なやつにできることはもう何もない。


この間、子供には本当に申し訳なかったなあと今でも思っている。
生まれてからほとんど会話しなかったせいか、未だに少し言葉が遅いお嬢だけど、今はすっかり健康で、愉快な奴になった。

お嬢かわいいよお嬢。
寝かしても抱っこしても車に乗せてもずっと泣いてたんだよね。これは今はいい思い出。めっちゃかわいいよ。