ここはちょっと見せられない

ぜったいぜったい見せられない

モヤッとしたことをとりあえず残しておく

モヤる事が少し増えた。

オープンソースの世界を垣間見てきたからかもしれない。閉ざされた空間での付き合いというのは少々居心地が悪いなと思う。さりとて全方向にオープンである状態も不用心であると思うこともあって、塩梅が難しいなと思う。

1個目。 たとえばだけど、特に親戚からが多いんだけど、聞かされる話の中に「俺が口利きしてあげた」的な話があって。 人と人をつなげるのは素敵なことだろうけれども、それが権力というか、越権行為であってはいけないなと思う。思ってしまう自分、真面目か?って思うけど性分だし。しょうがない。

自分はスキルもないし人脈もないので、なんかあった時に頼れるところが欲しいと思ってはいるけれども、所属することで、所属していない人たちにもメリットというか、何か貢献できればと思って所属するのはいいなーと思ってる。オープンデータ界隈とかいい活動よね。でも、所属することで仲間として仲間うちだけの互助的メリットしかなくて、助けてもらうだけのために所属する、というのはなんだかもやる。萎える。

2個目。 一時期、情報モラル界隈で妄想偏見ばかり垂れ流す輩がいたので、テープ起こしまでして多方面に「これでいいのか」という話をいいまくった事があったせいか、「情報は絶対に記録に残してはいけない」みたいなことを言う人も出てきて、悲しい気持ちになっている。

藁にもすがる思いでネットを検索し、良い資料に巡り合うことがある。当時私がめぐりあった資料は hanazukin が作ったスライドだった。作成された資料はかなり公開されている。何年もかけて作られた資料は今から見るとかなり多い。時事問題も多いけれども、普遍的な話も多い。 これを公開して残してくれているという、オープンにするということはネットの中では何にも代えがたい貴重な財産だと思う。 正確な技術情報もそう。公開されている情報にずいぶん助けられた。なので、自分も何か少しでも残せるものは残そうかなとも思って、メモ代わりではあるけど、書き残したりしてる。

でもねえ、どっかから突っ込み受けたら困るみたいな話をされると、途端にモヤるねん。 よーく話を聞いてると、断言できないことをいろんな人に断言していたり人がいる。それはよくない。いちいち突っ込むけど、のらくらっと逃げられてしまう。何回か言ってるけど、断言口調が治らなくてモヤる。

人は人に対して断言したいもんなんだろうか。まあ自分も振り返るとそうなのかもしれないけどさ。その断言してる内容、特定の条件の時だけのはずだけれども数㎜の隙間をもってして(数㎜というのは比喩表現である)断言できちゃうのって、怖いなって思う。いや、友達同士で談話として話するのは全然いいけれども、講師として話するのはあかんと思う。

3個目。 こういうのを思想として強めすぎてしまうと、どうも過激派みたいになって宜しくない、みたいな空気もあるみたい。 実際極端に走ってしまう人もいるらしい。いらんところに変に突っ込みすぎると警戒されるのは、なんか過激派って思われてるんだろうか。つぶらな瞳で質問したり、わからんことをわからんと言い切るのもなんかどうも良くないように思われている気がして、なんかそれはそれでモヤってたりする。

まあ所詮辺境の田舎でおばちゃんが叫んだところで、結局権威的な人物からの発信じゃないと誰も耳を傾けてなんぞしてくれないし、しょうがないかなあと。

それだいぶ前からみんなおかしいって言ってたじゃん、っていうようなことが、なぜか急に注目を浴びて風向きが変わるのも見てしまった。なーんだ。みんな蝙蝠みたく、あっちこっちバタバタ飛んでるだけか、って思っちゃった。

なんか、めんどくさいね、と心底思ってしまい、そろそろ啓発界隈から足洗おうかという気持ちになっている。