ここはちょっと見せられない

ぜったいぜったい見せられない

MySQL 5.7 から 8.0 移行メモ / ubuntu20.04

mysqldump --all-databases で残しているから大丈夫とか思っていたら、システムのDB含まれてて面倒なことをやってしまった。 認証方法が変わってそれでも四苦八苦してたのに、多難な作業だった。

dump ファイルには、set sql_mode='' を入れる /usr/sbin/mysqld --upgrade=FORCE 実行する

とりあえずこれでなんとか。

mysql_update は deprecated になってて使えんかった。

「入力 VS 手書き」雑感

小寺さんと花田先生の記事を読んで、ちょっと思い出したことがあったので記録しておこうと思う。

note.com

昔地域団体の役員をしていたとき、自分は書記を務めたけれども、会計の人がパソコンができないと言って困っていたので、ヘルプしたことがある。 Excel まかせとけーってまあ色々やってた。

会計の人は日々の集計というか、記録も全部Excelでやらないとだめだと思い込んでいて、いや、毎日の帳簿合わせくらい別に紙に鉛筆で電卓計算でええんやで、って再々伝えた。けれども、どうしても、「でも、やっぱりパソコンでやらないと・・・」っとおっしゃる。 パソコン無いときはみんなそうやってたじゃん、現に、7年前の人の資料みたら手書きで残っていた。この7年で手書きが許されなくなったわけじゃないのに、なぜか頑なにそう思っていたみたい。

んで、幼児教育関係のお話を垣間見ると、幼稚園保育園は保護者との通信は手書きじゃないといけない文化があるという。 そういや、上の子のときは手書きだった小学校の通信簿は、下の子のときから、すべてシステムから印刷されたものに置き換わった。 小学校は随分マシになったんかな。でも幼稚園保育園に務める友人の話を聞くと、今でもやっぱり手書き、だそうで。

手書きに温かみを感じるから、という理由もあると書いてあったけど、でももしそうだとすると、地域団体の会計の場合、温かみの話は一切出てこない。 むしろ公式として出す資料にまつわるものはすべて電子化されているのが礼儀みたいな空気も感じていたみたい。 温かみどこいった。保育園幼稚園の手書き文書って保護者向けなんやけど。

「温かみ」という感覚は一体どこから来たものなのかなあ。 きったねー字で書いたら絶対に「読めない」ってクレーム出るのも予想できるし。汚くたって温かみがあるだろ!という論争にはならないだろうし。

小学生がパソコンで入力して印刷したものには温かみはないんだろうか。 きっと自分が子供なら、自分で書いた汚い文字より、印刷されたきれいな文字のほうが満足度高いだろうとも思う。

「温かみ」とはなんだろうかと考えると、結局「=かけた時間」なのか。でもパソコン使うのに四苦八苦した時間は多分「温かみ」は感じてもらえそうにない。 字のきれいな人に代行書写してもらったら、きっと「温かい」と言ってもらえそうだ。

逆に、PTAの文書を手書きで書いたらOBからクレームが来たなんていう話も聞いた。 なんでや。温かみどこいった。手書きでもええやん。プリンターない家も多いしパソコンできるひとばっかりやないって、役員選出のときに言うてたやつ誰やねん。 手書きにクレームつけるやつに24時時間くらい問い詰めてやりたいぞ。

ああ、鍋販売んところからくるダイレクトメール、手書きやったわ。 その「温かみ」という感覚、消費者的に狙われてるのは自覚してもらいたい。

正直、個人的にはどっちゃでもええけど、データとして後で有意義に活用できる余地を残していけるのであれば、デジタル化は絶対したほうがいいと思う。

phpmyadmin にアラートが出て鬱陶しい&毎回 IgnoreAll 押さなあかんの?

upgradeしろって話は置いといて、とりあえずconfig.inc.phpに書いときゃもう出ない。 インストールするたびに忘れるんでメモ。 ubuntu18.04 で普通にapt install して入れたら、古いのが入ってくるのでまあしょうがない。手元の開発環境だし問題ない。

$cfg['SendErrorReports'] = 'never';

stackoverflow.com

category一覧もsingle投稿も、親カテゴリのテンプレートを使いたい

コピペ用に置いとく。 functions.php にこれを入れておけば良い。覚書。

Wordpressの関数使ったほうがいいんかなと思って書いた。

これで、 category-(term slug).php single-(term slug).php を使ってくれるようになる。

見ればわかると思うけど、投稿(singleのほう)は登録カテゴリの中で最初に出てくるものを採用してる。 もし、yoastSEO使っててメインカテゴリが取得できるならそれを使ったら良いと思う。運用次第。

<?php
function get_template_for_category( $template ) {
    $term = get_queried_object();
    $ancestors = get_ancestors($term->term_id, 'category');
    $term = get_category(array_pop($ancestors));
    $slug_template = locate_template( "category-{$term->slug}.php" );
    if ( $slug_template ) { return $slug_template; }
    return $template;
}
add_filter( 'category_template', 'get_template_for_category' );

function get_template_for_single( $template ) {
    $post = get_queried_object();
    $term = get_the_category($post->ID);
    $ancestors = get_ancestors($term[0]->term_id, 'category');
    $term = get_category(array_pop($ancestors));
    $slug_template = locate_template( "single-{$term->slug}.php" );
    if ( $slug_template ) { return $slug_template; }
    return $template;
}
add_filter( 'single_template', 'get_template_for_single' );

YoastSEO が吐き出すsitemapのURLを無理やり変更する

hookあったわ。

function my_url_replace($url) {
  return str_replace( 'sub.example.com', 'www.example.com', $url );
}
add_filter( 'wpseo_sitemap_entry', 'my_url_replace');

モヤッとしたことをとりあえず残しておく

モヤる事が少し増えた。

オープンソースの世界を垣間見てきたからかもしれない。閉ざされた空間での付き合いというのは少々居心地が悪いなと思う。さりとて全方向にオープンである状態も不用心であると思うこともあって、塩梅が難しいなと思う。

1個目。 たとえばだけど、特に親戚からが多いんだけど、聞かされる話の中に「俺が口利きしてあげた」的な話があって。 人と人をつなげるのは素敵なことだろうけれども、それが権力というか、越権行為であってはいけないなと思う。思ってしまう自分、真面目か?って思うけど性分だし。しょうがない。

自分はスキルもないし人脈もないので、なんかあった時に頼れるところが欲しいと思ってはいるけれども、所属することで、所属していない人たちにもメリットというか、何か貢献できればと思って所属するのはいいなーと思ってる。オープンデータ界隈とかいい活動よね。でも、所属することで仲間として仲間うちだけの互助的メリットしかなくて、助けてもらうだけのために所属する、というのはなんだかもやる。萎える。

2個目。 一時期、情報モラル界隈で妄想偏見ばかり垂れ流す輩がいたので、テープ起こしまでして多方面に「これでいいのか」という話をいいまくった事があったせいか、「情報は絶対に記録に残してはいけない」みたいなことを言う人も出てきて、悲しい気持ちになっている。

藁にもすがる思いでネットを検索し、良い資料に巡り合うことがある。当時私がめぐりあった資料は hanazukin が作ったスライドだった。作成された資料はかなり公開されている。何年もかけて作られた資料は今から見るとかなり多い。時事問題も多いけれども、普遍的な話も多い。 これを公開して残してくれているという、オープンにするということはネットの中では何にも代えがたい貴重な財産だと思う。 正確な技術情報もそう。公開されている情報にずいぶん助けられた。なので、自分も何か少しでも残せるものは残そうかなとも思って、メモ代わりではあるけど、書き残したりしてる。

でもねえ、どっかから突っ込み受けたら困るみたいな話をされると、途端にモヤるねん。 よーく話を聞いてると、断言できないことをいろんな人に断言していたり人がいる。それはよくない。いちいち突っ込むけど、のらくらっと逃げられてしまう。何回か言ってるけど、断言口調が治らなくてモヤる。

人は人に対して断言したいもんなんだろうか。まあ自分も振り返るとそうなのかもしれないけどさ。その断言してる内容、特定の条件の時だけのはずだけれども数㎜の隙間をもってして(数㎜というのは比喩表現である)断言できちゃうのって、怖いなって思う。いや、友達同士で談話として話するのは全然いいけれども、講師として話するのはあかんと思う。

3個目。 こういうのを思想として強めすぎてしまうと、どうも過激派みたいになって宜しくない、みたいな空気もあるみたい。 実際極端に走ってしまう人もいるらしい。いらんところに変に突っ込みすぎると警戒されるのは、なんか過激派って思われてるんだろうか。つぶらな瞳で質問したり、わからんことをわからんと言い切るのもなんかどうも良くないように思われている気がして、なんかそれはそれでモヤってたりする。

まあ所詮辺境の田舎でおばちゃんが叫んだところで、結局権威的な人物からの発信じゃないと誰も耳を傾けてなんぞしてくれないし、しょうがないかなあと。

それだいぶ前からみんなおかしいって言ってたじゃん、っていうようなことが、なぜか急に注目を浴びて風向きが変わるのも見てしまった。なーんだ。みんな蝙蝠みたく、あっちこっちバタバタ飛んでるだけか、って思っちゃった。

なんか、めんどくさいね、と心底思ってしまい、そろそろ啓発界隈から足洗おうかという気持ちになっている。