ここはちょっと見せられない

ぜったいぜったい見せられない

カゾクの絆

母から緊急の電話がかかって来たのは暑くも寒くも無い時だった。

電話は頻繁に(酷いときには一日に数回)かけてくる母だったが、その時は
かなり珍しく、ただ「・・・しんどうてさっきから吐いてんねがな」と言って
きたのであまり慌てもせずに早急に実家に戻り、かろうじて鍵を開けてくれた
ものの、立ち上がれない様子をみてそのまま119番に電話した。

救急隊員との応答に聞かれるままに様子を伝えて、実家まで来てくれた救急車
を、当時幼子であった子供と一緒に見送り、その後を車で着いていった。

まあ軽く血圧200くらいになっていたらしく、数日は入院だと言われて兄に
電話した。兄はその時点で旅行中で、帰るには時間がかかると言った。
母はまあ大丈夫そうだと言ったところ、私が付いているから問題ないだろうと
言われて、そのまま切った。

姉には連絡するかと母に聞いたが、「言わんでええ!!」と血圧がまた上がり
そうになったので、その旨もう一度兄にも電話で伝えた。

結局兄は旅行を滞りなく終えてから母の見舞いに来たようだ。

とりあえず、適当に身の回りの事とかなんとかなりそうな感じにしておいて、
退院のお迎えは兄に頼んだ。母も別に大人だし、ぼけてるわけでもなんでも
ないので、私は次の日には会社に出勤していた。

だから、姉は母が入院したことは知らない。


実家には私が学生のころから飼っていた老犬が居たが、今から数年前に
とうとうお迎えが来た。16,7歳にはなっていて、親兄弟みんなすでに他界
していて一人生き残っていたヤツだった。父が元気な頃から我が家を守っていた。
今は父の横にでも行っているのかも知れない。おとなしいヤツだった。

兄も死んだことにショックを受けていたようで、私に連絡をくれた。
死に目には会えず、色々走馬灯じゃないけど思い出したりして感傷に
ひたっていたのだが、兄は姉にも一応連絡をし、

「まだ生きていたのか」

と言われたことを私にこぼした。

家族とはこのような姿もあるのかと、つげ義春の世界に引きずり込まれたような
感覚を覚え、「イシャはどこだ」と腕を抑えてつぶやく青年のように
私は「カゾクはどこだ」と黙ってつぶやき、そのままに日は過ぎ去っている。