ここはちょっと見せられない

ぜったいぜったい見せられない

環境を整える役割の重要さ #AdventCalendar2018

これは、こどもとプログラミング Advent Calendar 2018 5日目 の記事です。

ずきんさんにそそのかされたので、思い出話など少し。

だいぶ前だけど、息子がどうしても欲しいと言い出したブツがこれだった。

Beauto Chaser(ビュートチェイサー) | ヴイストン株式会社

夏休みの自由研究にするから買ってくれ!って言われて、素直に買ってしまったけど、ちょっと後悔したんだよね。 当時はまだmicro:bitとかも全然なくって、プログラミング教材っていうよりはラジコン色が強かったのね。ラジコンは好きだったし安易に買ってしまったのだった。本と一緒に。

scratch もやってたし、なんとかなるか?って考えたけど、どう考えてもプログラムを作れる環境を作るまでが難しいわ。 結局母がなんじゃかんじゃと設定し、動かしたのだった。プログラミングするところからは、息子と一緒にあーだこーだ出来るようになった。

入れないといけないソフトとかを、まず揃えるのに色々調べ、入れてからセットアップするにもちょっと一苦労したんだっけ。当時はWindowsXPだっけな。もうあんまり覚えてないけれど。

今販売されているプログラミング教育の教材ってほんと良く出来てる。買ってきてぱっと作れる、そういうスピード感がある。 この点ではビュートチェイサーは、明らかに環境構築の壁が高かった。この敷居の高さは初学者にはすごく厳しいし、くじけるには十分。それでもまあ、なんとか体験する程度まではたどり着き、自由研究に写真ベタベタはって、プログラムコードの写真も貼って出したのだった。当時はまだ珍しかった。(今でも珍しいか。)

こんなに敷居高かったっけ?って昔の事をちょっと思い出してたんだけど、我が家の場合は、父親が率先してごそごそ色んな事をしていたので、環境構築は既になされたあとだったんだなあ。環境構築の時間ってあんまり観察できてなかったよ。

父と兄はICと基盤を買ってきてブリキの弁当箱にネジで止め、ツマミ(ボリュームなどに使われる可変抵抗器かな?)を取り付けてテニスゲームを遊んでいた。 たしかこれ。 Pong-Story : Tennis for Two computer game (1958)

半田ゴテ握ってあれこれしていたんだろうけど、私は幼かったし覚えてないのが残念。テニスゲームを兄と2人で遊んでたところから覚えてる。兄一人ではできなかったはずだから、やはりサポートがあってこその成果物なんだろうな。

プログラミングってサポートが命だなあと、自分の子供にやらせてみせて初めて、親のありがたさがわかったんでした。 飲んだくれのろくでもない父ちゃんだったけど、もうちょっと生きててほしかったなあ。そしたら孫と楽しく色んなことできたのに。もったいないね。